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 私は、真言宗豊山派 文殊院住職 山本憲慈と申します。
 今月は、お釈迦さまの教えの中から「愛別離苦」ということについて、お話をさせていただきます。
 私が住職となって三十八年がたちました。この間、多くのお檀家さまの大切なご親族さま、そして私自身の親族などの葬儀に関わって参りました。
 それは、親と子、夫と妻、ご兄弟との別れ、生後間もないお孫さんを失った方など、千差万別でした。

 永遠の別れに落胆と失意の中、深い悲しみの淵で涙に暮れ、天を仰ぎ、地に伏して嘆き悲しむご遺族や知人・友人らの姿を目の当たりにし、私自身も言い知れぬ寂しさとお慰めの言葉を失くし、むなしい思いを数知れず体験いたしました。

 故人への思いが強いほど、また、大切な人であればあるほどに、痛嘆は深いものではないでしょうか。
 いま、まさに直面されている方も、大勢おられることと思います。

 お釈迦さまは「人生は苦なり」とお説きになられました。
 つまり、人生は何ひとつ思い通りにはならないものだということです。
 そのひとつに「愛別離苦」という、愛するものと別れる苦しみもまた、人が避けることのできない、永遠の道理であると説かれます。
 人として、この世に生を享けることは、きわめて稀なことであり、今ここにある命が当り前のものではなく、やがて死に至り、愛する人や大切な人、親しい人といつかは、必ず別れなければならないという、誰ひとりとして、否定することが出来ない「避け難い道理」であります。

 人は、様々なご縁で多くの人々と素晴らしい出合いがあり、共に学び、助け助けられて人生は豊かなものとなります。
 しかし、出合いは必ず、いつか訪れる別れを前提として存在しているのであり、別離を必ず体験しなければならないという、この世の苦しみを逃れることは出来ないのです。
 だからこそ、この「避け難いことを、避け難いこと」と気づき、いつ、別れがきても悔いが残らないように、別離の時までその出合いを大切に育み、積極的な生き方をされることが大事であるとお釈迦さまはお説きになられました。

 私たちは、この教えを正しく理解し、身近で起きた、悲しく苦しい体験を無駄にすることなく、これを乗り越えて、出合いによる喜びや教訓をくれた故人に感謝の心を忘れず、そして、生きていく意味をあらためて問い直すことが大切ではないでしょうか。
 心やすらかに、有意義な人生を一歩づつ前に進めて参りましょう。

 ご清聴ありがとうございました。

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