テレホン法話(平成26年9月)

『般若心経について』
私は、真言宗豊山派佐渡宗務支所テレホン法話9月担当の曼茶羅寺住職 渡部 成樹と申します。
 般若心経で第一に重要なことは、「般若波羅蜜多」ということであります。
これは般若心経や大般若経、真言宗で日々お唱えする般若理趣経などに「ハンニャハラミタ
ハンニャハラミタ」 と特に目立って聞かれます。般若という言葉は私たち日本人にとっては、
般若の面とか般若湯とか馴染んだ言葉となつています。
般若の面は美人の鬼女の面でありますが、これは源氏物語に出てくる六条御息所の亡霊が
夜な夜な光源氏の前に現れておどすのでありますが、光源氏が般若心経をお唱えすると忽ちに
成仏したという伝説から般若の面と呼ばれることになつたのであります。
 また般若湯は「一杯の湯桶これを許す」という寒い高野山のしきたりから、酒とはいわず
熱かんを一杯だけ修行を終えた夕方に酒が許され、般若湯という代名詞が使われたのであります。
般若は智慧と訳されますが、私は覚りと訳しております。続く「波羅密多」は行くとか行動の
意味があり、これは修行ということであります。般若と波羅密多は本来別々の言葉でありますが、
お経の中では必ず二つの言葉が一つになつて「ハンニャハラミタ」と出てまいります。
これは覚りと修行が一体となっていること、覚りは修行によって得られ、修行あるところ必ず
覚りがあることを物語っています。従って、「般若波羅蜜多」は仏教全体を表している含蓄のある
言葉であります。ここに般若心経の第一の鍵があるということができます。
 第二の鍵として「空」と「無」があります。般若心経には「空」という文字が七つ、「無」と
いう文字が二十一も出てまいります。
「空々無々」と般若心経は「無い無いづくしの無いづくし」のお経のようですが、仏教の「空」と
「無」の文字はそれだけでも長い講義が必要なので実に意味の深いものがあり、仏教の覚りを表す
文字なのであります。ここでは序論や本論を抜きにして端的に結論を申し上げることにいたします。
「空」とは空々しいとか空虚ということではなく、この一字で仏さまの世界を表しています。
「不正不滅」、「不増不滅」の厳然たる仏の世界、仏のいのちを表しているものであり、汚れたり
浄くなったりする有限な眼に見える世の中の奥に偉大なるいのちが生きていることを表しているの
であります。
「色即是空」、「空即是色」とは、「色」この世の中、眼に見える種々なる形と動きを表していますの
で、この世はそのまま仏の世界だといっているのであります。
「無」は無いということではなく、修行によって執着の心を取り去ると本来清浄な覚りが開かれ、
本来の姿を取り戻す作用を表しているのであります。
                          参考文献 真言宗日常勤行法話実践講座

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