今月は来迎寺が当番月なので、お話したいと思います。
 人として生まれたからには、必ず通る道が死の世界(あの世)であ
り、人の運命・定めだと思います。では、人は死んだらどうなるのでし
ょうか。いきなり極楽・地獄へと行くのでしょうか?
 仏教の考えでは、亡くなった瞬間にはまだ行き先が決まっている
わけではありません。人は亡くなると、四十九日の旅にでるとされて
います。これがいわゆる「冥土の旅」です。この四十九日を「中陰(
ちゅういん)」や「中有(ちゅうう)」と呼びます。
 経典によると「四有(しう)」という言葉があります。四有とは、
「生有(しゅうう)・本有(ほんぬ)・死有(しう)・中有(ちゅう
う)」四つです。

 ●生有・・・・母の胎内で生を受けた瞬間
 ●本有・・・・生きている間
 ●死有・・・・死ぬ瞬間
 ●中有・・・・死んでから次の世界に生まれるまでの間

 中有とは、どこにいくのかまだ決まってない「陰(いん)」の状態
であることから、一般には中陰(ちゅういん)と呼ばれています。人
間はこの四有を繰り返しながら生まれ変わっているという考え方です。
 日本では昔から中陰の思想は定着していました。実際、日本人は亡
くなった時、葬式を済ませたら、それでおしまいではなく、一周忌・三
回忌、という様に法事やお盆・彼岸のお墓参りを行うと思います。
 では、仏教での行き先は六道という六つの道に分けられ、それぞれ
天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界とされています。
死後四十九日間の間に六道のどこかに行く先が決まるとされていま
す。いかに四十九日間が大切か見えてきます。誰しも身近な人が亡く
なったら来世での幸福を得てもらいたいと願うでしょう?
 特に日本人は人は亡くなったら人間に生まれ変わる考え方を持っ
た種族です。

 六道の六つを見た時、ふと気付いた人はいませんか?
地獄界から天上界まで階級になってますね~!さらに今の生活から
も、六道の世界観は見えてくると思います。
生活の一部には六道や仏教の世界観は溶け込んでいます。
 例えば、ご飯を食べる時「いただきます」という言葉がありま
す。これも言わなくなってきていませんか?どうでしようか?
 この「いただきます」の本当の意味は仏教からきており、こう伝
わっています。「あなたの体の一部をいただきます」という言葉が
元々ついていました。 あなたのおかげで私が生活でき、ありがとうご
ざいます。という意味です。
環境破壊・地球温暖化・天変地異(地震・台風)など、すぐそこ
に地獄の入り口が開こうとしている。と考えてもいいと思います。六
道は身近にあります。
 このような事から日頃から感謝や「ありがとう」という言葉を素直
に言える様心掛けて、亡くなった時に、人間界にまた戻りたいと思い
日常生活を送りたいと思います。   
                           合掌

真言宗豊山派佐渡宗務支所八十七番 照光寺住職 奥野俊英と申します。
 節分会「豆をまいて悪を払う」ということをお話しさせていただきます。
 節分とは季節の分かれ目ということで、立春、立夏、立秋、立冬の四つの節分があったが立春だけで行われるようになったのは、寒い冬を乗り切るための春を待ちわびることから元気づけに行われるようになり、現在は二月三日となっています。
 節分に「鬼は外福は内」とは外の鬼という意味だけではなく、私たちの心の中の鬼ということもできます。
 悪い心は鬼でして、良い心は福ということになります。悪い心を追い出して、良い心を育てていくことを誓うことの意味にもまるでしょう。
 豆を自分の歳の数だけ食べるというのは、豆な人間になる、どんなことも精を出して、こつこつ努力していく根性を目指すということにもなると思います。
 今家族の危機の時代と言われています。家族のきずなを強めるものとして、むかし多くの行事がありましてが、今はだんだん少なくなってきています。
 家族がみんなで力を合わせて行う行事を大切にしていくことを、今改めて考えなおしていくことが必要なことです。皆が健康で心豊かな家族全員の協力関係が必要です。
 家族を捨てればあとは地獄の道しか残っていません。この世で最も不幸な生き方ということになります。
 先ずそれを避けたいということが第一の願いであったのです。それだけに真摯に祈ったわけです。面白がって豆をまいたのではなくて、どうかお願いしますと必死になってお祈りをしたのです。
 現代でも災難を少なくし、そのようなことがなくなるような社会をかえていくということが目指されています。流行り病や自然災害を少なくしていくことができても、現代では新たな災難が数多く起こってきています。
 災難をなくし社会の治安をよくしていくことの基本は「心の鬼をなくし心を福にしていく」ことではないでしょうか。
 悪縁を断ち切り良縁を招いていくということでもあります。
 身近なことから、よき縁を作り出していくことを願うことが、節分の日の心構えではないかと思います。
 「心の鬼をなくし、福の心を育てよう」と豆をまきたいものです。

こんにちは、柿野浦・西泉寺の中浜浄明と申します。
暇な時は図書館に行っていろいろな本借りてくるのですが、本って買うと結構するし、どんどん増えてしまうので、図書館はいいですね。
そんな中の1 冊、今年7 月に亡くなられた、永六輔さんの「大往生」の中の言葉をご紹介したいなと思いました。著名人ではなく巷に生きた人たちの言葉がちりばめられてい ます。永氏は浅草のお寺に生まれ、テレビ界の草分けとして活躍、20 年以上前にこの「大往生」もベストセラーになりました。
生老病死は誰にも避けることはできない。自分の問題としても以下のような言葉をかみしめました。

まずは老いについて。
「ハゲになったり、白髪になったりして嘆くことはありません。ハゲたり白くなったりするまで生きられたと思えばいいんです」
「酒、こんなにおいしいものをやめると・・・身体によくないよ」
「今日も無事、小便できる幸福よ」「今はただ、小便だけの道具かな」
「寝るっていうのは、結構エネルギーが必要なんですよ。老人が早起きするのは、そのエネルギーがないからです」
「呆けた親を施設に預けた帰りにしみじみ思いましたよ。税金を払っでおいてよかったって」
「叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい」
「結局生きてゆくということは、気分を紛らわせていくことなんだよな」
「人生五十年という時代の感覚で年齢を数えてはいけない、という説もある。医学の進歩も含めると、「七掛け」でちようどというのだ。つまり七十歳は四十九歳、六十歳は四十二歳、五十歳は三十五歳。ウン、そうかもしれない」
「老入たちに言うんですよ、文鎮になりなさいって。文鎮はそこにあるだけで、動かないで役に立っているでしよう」

続いて病いについて
「頭を使うから胃潰癌になるんじゃありませんよ。頭の使い方が下手だから胃潰療になるんです」
「看護師不足は、労働条件だけではないと思いますよ。日本人の、生命を見つめない、死を嫌う、と言う伝統があるんです」

そして死について
「お彼岸、お盆、法事 ・・・そういうチャンスに、できるだけ死について、死者について話をするベきです。それが、死を受け入れるトレーニングになるんです。みんな死ぬんですから」
「葬式をしないという遺言を守った遺族がいたが、そのあと一年中の弔問客の対応に疲れ果てたという」
「葬式で、赤ちゃんの声が聞こえると、何だかホッとするんですよ。子供は葬式に重要です」
泉重千代さん「 百歳を過ぎて子供に死なれた時は辛かった」百十五歳の時に「どんな女性が好きですか」と聞かれて「・・・年上の女」
「当人が死んじゃったということに気がついていないのが、大往生だろうね」
「何か言い残すことはありますか」と聞かれて、自分で「ご臨終です」と言って死んだ人もいた。
「昔はね、呆けるほど長く生きなかったの」

などなど、ぜひ、手に取って読んでいただくことをおすすめします。

 私は真言宗豊山派薬師寺住職 中浜照文です。
木仏長者のお話をしたいと思います。 
 むかし、むかし、ある村に一人の長者どんがおりました。
 この長者どんは、たいそうりっぱな金の仏さまを持っていて、ぴかぴかに磨いては人に見せ、自慢ばかりしていました。
 この長者どんの家には、お風呂を焚くのが仕事の、働き者の若者がおりました。ある日、若者は山へ焚き木拾いに行き、仏様によく似た木のぼっくいを見つけたのです。
 若者は、ぼっくいを持ち帰り、仏様だと思って、毎日熱心に拝んでいるのでした。
 若者は、この仏様が、自分を守ってくれているような気がしていたのです。
 ある時、ごますりの奉公人の一人が長者どんに「どうです?金の仏様と木仏で、相撲をとらせてみたらどうでしょう。どうせ、木仏はすぐに投げ飛ばされてしまうでしょうがね。」
二人は顔を見合わせて大笑い。長者どんは若者をよんで「おい、おめえさんの木仏さんとわしの仏様と相撲をとらせてみよう」そして長者どんはおもしろがってこんなことを言ってしまいました。
「もし、わしの金の仏様にお前の木仏さんが勝ったら、わしの家屋敷をぜ~んぶお前に譲って、わしが風呂炊きになろうじゃないか。」
 若者は「こりゃあ、えらいことになっちまった、仏様に相撲をとらせるだなんて」
 皆で土俵を囲み「はっけよい、のこった。」
 不思議なことに、いつの間にか仏様と木仏様は激しくぶつかり合って、押したり引いたり。金の仏様にからだをはずされ、倒れそうになる木仏様。
 若者は心の中で一生懸命お祈りをしていました。
長者どんは、安心しきっています。
しかし、木の仏様は顔を真っ赤にして、頑張ります。じんわりじんわり、少しずつ金の仏様は土俵の反対側へ押し出されていきます。
「あっ、ああ~っ!」長者どんが、泡をふいて倒れてしまいました。
金の仏様が倒されてしまったのです。
「うわ~い、やったあ~、やった!」
こうして、約束通り若者は長者になり、長者どんは、風呂焚きになったのでした。
ある日、風呂焚きをしながら元長者どんは金の仏様に尋ねました。
「なんであん時、木のぼっくいなんかに負けたんだか?」すると、金の仏様は
 「お前は、わしをぴかぴかに磨くだけで少しも信心をしなかった、それで力がでなかったんじゃよ。」
 「なるほど、そんでやんしたか。」
 風呂焚きになった長者どんは、がっくり肩を落として涙をぽろり。
 新しい長者どんは、いつもでも信心を忘れることなく「木仏長者」と呼ばれて、皆から慕われたということです。
 信心を忘れてはいけませんね。

こんにちは、私は理性院住職の齋藤俊恵と申します。
 今日は、絵本をご紹介したいと思います。「どっちーぬくん」という犬が主人公です。
《どっちーぬくん》
 昨日は雨で、どっちーぬくんは、誰とも遊べませんでした。でも今日はいい天気です。『遊ぶぞ遊ぶぞ今日は、絶対皆んなと遊ぶんだワン』
 最初は熊さんの所です。
 『ねえー遊ぼう』
 『あ、ちょっと待って。今ご飯食べてるの』
 『うん、それじゃあ待ってる』
でもいつまで待っても、熊さんのご飯は終わりません。待ちきれず、どっちーぬくんは言いました。
 『ご飯食べるのと、僕と遊ぶのと、どっちが大事なんだ ワン』
 『え?ご飯と、どっちーぬくん どっちが大事って・・・・!えーっと』
熊さんは困った顔で考えました。
 『もういい ワン』(不機嫌そうに)
どっちーぬくんは、行ってしまいました。
次はヤギさんの所です。
 『ねえ 遊ぼう遊ぼう』
 『あ、今絵本読んでるの。終わるまで待ってね』
でもしばらく待っても、ヤギさんは、なかなか読み終わりません。
 『ねえ、まだ?』
『もうちょっとね』
『ねえ、ずい分待ってるんだけど』
『今、おもしろいところなの』
『もう、絵本と僕と、どっちが大事なの』
ついに、どっちーぬくんは怒って行ってしまいました。
 『あ、カバくん、遊ぼう遊ぼう今すぐ遊ぼう。僕、もう待ってられないの』
 『ごめーん、今歯みがきしてるの。もうちょっとで終わるからね』
 『ワー、カバくんまで。歯みがきと僕とどっちが大事なんだ ワン』
 『えっ?歯みがきと、どっちーぬくんをくらべるのかい?よわったね・・・』
 『もう わかった ワン』(悲しげに)
どっちーぬくんは悲しくて走り出しました。そして、草の上に寝ころんで泣きました。
 『もういいワン、今日は誰とも遊ばない ワン 僕はご飯にも、絵本にも、歯みがきにも負けたワン』

 ふと見上げると、皆んなが笑って、どっちーぬくんを見ていました。
 『もう、用事は終わったよ、さあ遊ぼう』
どっちーぬくんはびっくり、
 『皆んなどうしたの?僕より大事なものがあったのに』
すると、皆んなが笑いながら言いました。
 『友達より大事なものなんてあるわけないじゃない』
 『くらべるなんて変だよ、どっちーぬくん』
どっちーぬくんははずかしそうに笑いながら
 『ねえみんな、“鬼ごっこ”と“かくれんぼ”とどっちにする』
と言いました。
おわり、有難うございました。

 私は、真言宗豊山派佐渡支所内73番相川鹿伏観音寺住職 平田恵順と申します。
 今回は、彼岸についてお話したいと思います。
 彼岸という言葉は、昔のインドの言葉パーラミターで、これを漢訳したのが、波羅密多です。意味は、到彼岸です。到彼岸ですから、彼岸に到る、すなわち悟りの世界~仏の世界に到るということになります。悟りの世界に到るための手立てを教えているのが、彼岸です。
仏教には、三毒という教えがあります。
 三毒とは、むさぼりの心、怒りの心、愚かな心の3つ、そのような心を戒め、悟りの世界へ渡るために一歩でも近づくようにするのが、お彼岸の本当の意味でもあります。
 彼岸は、春と秋の七日間。彼岸期間中の真ん中の日で「彼岸の中日」と呼びます。春分の日、秋分の日がその日で、この日は昼と夜が同じ長さです。一年に二回有るバランスのとれた日と言えます。
 そこで、彼岸は、何故年に二回あるかということですが、古来より日本では、一年に四回祖霊が訪れると信じられてきました。四回とは正月、盆、それに春秋の彼岸の頃は、季節の分かれ目「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあります。
その中でも、秋分の日は、先祖を敬い、亡き人を偲ぶ日と言われています。平素忘れがちな仏様を追慕して、家中揃って和やかなひとときを迎えたいと思います。亡き仏様が私達に何を望んでおられるのか、素直な謙虚な心に立ち返って、自己を見つめてみたいと思います。
川の瀬に立っています。今いる処を此岸と言って、迷いや苦しみに満ちた現実の世界です。対岸は、向こう岸、彼岸と言い争いのない和やかな平和な理想の世界です。途中の川をどう渡って行くのかが、人生の生き方、修行でありましょう。
 川を渡る為の修行が六つの波羅密です。
○布施(物でも心でも施したい)
○持戒(心を戒め、決まりを守りたい)
○忍辱(耐えしのびたい)
○精進(何事にも全身全霊を傾けたい)
○禅定(心静かに物事を深くみつめたい)
○智慧(こころの眼を開きたい)
 お釈迦様は、人は生まれ、人は苦しみ、人は死ぬ、生きる事は苦しみが伴うと言われました。それは我が身がかわいいという愛着心が根底にあるからです。この自己の愛執を如何に無くしていくかが、仏の教えです。
 特に布施、精進、忍辱の三つを大切に行じていけば、私達の宿業が少しでも断ち切られ、人間らしさが保てると思います。
 彼の岸へ求道の一週間でありたいと思います。
 もうひとつ、お彼岸に関する話をしましょう。それは、彼岸花です。秋の奇岩の時期に合わせたように咲き、白と赤の二色があります。
 彼岸花には、曼珠沙華という美しい別名があります。仏典では慶事の前兆に天から降ってくる赤い花のことだといわれています。お墓参りした人も励まされるのです。
 ご清聴、誠に有難うございました。

こんにちは。8月に入りました。暑かったり気忙しかったりですが、どうぞお元気でお過ごしください。
長江にあります谷あいの寺 円徳寺の市橋俊水です。

少し前ですが、近所に住んでいた幼なじみの男性が実に30年ぶりに玄関に現れました。

話を聞いてみると、工務店の社長令嬢とめでたく結婚。でも建設現場の事など全く知らない、社員に示しがつかないどころか若い人からはバカにされてしまう始末でとうとう鬱になってしまったのですって。

いやー、大変そうだなぁと思いました。
と言うのもその幼なじみは昔から身体が小さくガリガリで、顔立ちも決して良いとは言えないタイプ。
少なくとも見た目で他人の尊敬を集める人ではなかったのです。ましてや力仕事の男の中では…ねぇ…。

でも、しばらく話を聞いていて思い付きました。
自分の親の現場仕事を全く知らない、やせっぼちの小さな男性をなぜ、社長令嬢は選んだんだろう…
周りには直ぐにも使える筋肉ムキムキの大男もたくさんいただろうに。

…穏やかで良く気のつく、素直な彼だから選ばれたのですね。それなのに「仕事の出来る・出来ない」だけで自分で自分を罰し、傷付けてしまうのは本当に勿体ない事です。

《しあわせはいつも じぶんのこころが きめる》の相田みつをさんの詩には、実はもう一行があるのを皆さんご存知でしたか?

みかんには みかんの味があり
りんごには りんごの美しさがある
しあわせはいつも じぶんのこころがきめる

…その通りですネ。
お聞きくださってどうもありがとうございました。

両津、加茂歌代の聖徳寺 山岸本幸でございます。
 皆様がお持ちになっている、よくご存知の数珠についてお話致します。
お通夜、あるいはお葬式またご法事に必ずと言って良い程お持ちになる数珠ですが、もう一つ念珠と言う呼び方があります。
数珠は数を数える仏具でお経の中には何度も繰り返しお唱えするお経があります。その場合に珠をくって回数を数えます。
 念珠は念ずる仏具で例えば亡くなった人の冥福を祈ったり、家族の無事安全を祈ったり、願い事を祈ったりする仏具でもあるのです。
数珠の素材は多種ありまして黒檀や紫檀、あるいは白檀、高野槙などの銘木であったり、水晶、翡翠、瑠璃、珊瑚などの宝石類、そして菩提樹などの木の実などがございます。
房の素材も人絹、正絹があり、その形も色も多種ございます。
形は玉房、切房、梵天などがあり、色も赤、紫、白、茶などいろいろございます。
数珠は必ず左手に持ち、右手でお水を替えて供えたり、香を手向けたりします。
そして左手の親指と人差し指の間に掛けて合掌し、一心に念じて下さい。必ずや、皆様の想いは届きます。
 数珠の形は宗派により多少の違いはありますが、その素材によって値段も巾がありますが、長く使うものですから素材、房の色、形はアクセサリーやネクタイを選ぶような感覚で自分の気に入った数珠をお選びになったら良いと思います。

 佐渡宗務支所44番 長松寺住職 中浜浄太と申します。今日は真言宗におけるお墓、お仏壇、お位牌についてお話させていただきます。
真言宗の御檀家さんがお墓やお位牌を新たに作る場合、梵字「ア」字を入れます。これは真言宗の本尊である「大日如来」さまを象徴する文字で、お墓の場合「○○家之墓」「先祖代々之墓」の前に、お位牌の場合は亡くなった方の戒名の前に「ア」字をいれます。そして完成したら菩提寺の住職様に「開眼(かいげん)法要」を行っていただきます。開眼とは、仏様の目を開くという意味があり、お寺様より読経していただくことによってはじめて、お墓やお位牌が大日如来さまの徳を備えた仏塔へと生まれ変わりますので、必ず行いましょう。
お墓やお仏壇をリフォームしたり、お洗濯をする際は、魂抜きの読経、正式には「発遣(はっけん、あるいは ほっけん)法要」を行います。「発遣」とは「仏さまを本来の世界へお送りする」ことで、リフォームの際には、こちらも事前に執り行うようにご住職様に依頼してください。
たまにお位牌を作ったけれど、特に何もしていない、お墓やお仏壇をリフォームして、工事前に読経はしたけど、完成後の開眼法要の依頼がない、といったお寺様の話も聞きます。事前に菩提寺の住職様とよく相談してから行いましょう。
お仏壇を新たに購入するときは、真言宗の場合「大日如来」さまをご本尊とします。ただし、昔から阿弥陀如来さまや、観音さまなどがご本尊としてまつられていた場合は、そのままでも結構です。大日如来さまは宇宙の中心となる仏さまで、阿弥陀如来さまやお釈迦さま、観音さまも大日如来さまが姿を変えたものと考えられています。
宗派によって異なりますが、真言宗豊山派の場合、御本尊様の左右の脇の場所には、脇侍(わきじ)として向かって右側に弘法大師、左側に興教大師をお祀りします。
弘法大師像は右手に五鈷杵(ごこしょ)、左手に数珠を持つ姿で、真言宗を開いた空海さまのことです。
興教(こうぎょう)大師像は、両手を御衣の中に隠している姿で、真言宗の中興の祖である覚鑁さまのことです。
菩提寺のお寺参りに行くと、ご本尊様の両脇に弘法大師、興教大師さまが祀られていると思いますので、注意してご覧になってください。
一般的には真言宗というと脇侍に弘法大師さまと不動明王を祀りますが、豊山派の場合は不動明王よりも興教大師さまを祀るほうがよりよいものです。
お仏壇はお寺を小さくして自分の家に迎えたものともいわれます。一度自分の家のお仏壇にどのような仏さまが祀られているか注意して見てください。
御清聴ありがとうございました。

 真言宗豊山派、佐渡支所下四十二番、安照寺住持 梶井照雄と申します。

 先月のこと、相川姫津の薬師堂で、本尊『薬師如来像』のご開帳法要があり、当日は実に三十三年ぶりの『大般若転読会』も行われたとお聞きしました。
 本日は、その大般若経というお経本に書かれた、庶民のお願いごとについて、少しお話をさせていただきます。
 この大般若経という経典は、唐の三蔵法師玄奘が、インドから持ち帰り、翻訳されたもので、六百巻もありますから、法要の際には、アコーディオンのように、パラパラと広げながら読みます、これを転読といい、この時に巻き起こる一陣の風を『般若の梵風』といって、これに触れるさえ、無病息災、一年中風邪をひかず、ご利益をいただけるという、誠に有り難い法要なんです。

 両津前浜の東強清水という村の観音堂には、こんな大般若経が伝わります。法印快栄という人が、この六百巻という膨大なお経を、なんと八年の歳月をかけ書いて納めたというものが所蔵されてあるのです。
 さて、私の地域の組寺には『両津護摩』と称する伝統行事が有ります。
 室町時代の末期、加茂の領主・渋谷氏の支配する真言宗寺院九ケ寺、現在は六ケ寺であります。郷内安全、五穀豊穣の祈願のため、この行事は始りました。今から四百八十年余り前のことであり、今日まで連綿と伝えられてきました。
 この行事で使用する現在の大般若経は、天保年間ですから、およそ、百八十年程前のものです、その一巻ずつに、寄進した人の施主名とお願いごとが、巻末に書かれているのです。
 それを見ますと、「先祖代々菩提」のため、「父母仏果菩提」のため、「両親菩提」のためという為書きが多く見られます。現在もよく使います『家内安全』と言う言葉。亡くなった後は、極楽の蓮の上に生まれ変わりたいという願いでしょう『一蓮托生』の言葉も見られます。
 また、寄進の施主など、個人名のほかに、「講仲間」「講中」の皆さんによっても納められました。
 『庚申』いわゆる庚申信仰ですが、『庚申待講中』また、夷・湊町では『念仏講中』『真言講中』のほか『善光寺仲間』と言う講仲間ももありました。
 女性が一生に一度、お参りすることで、ご利益をいただくという信仰で、その講中から、毎年、何人かの人がつれだって、信州まで参詣の旅をしたことでしょう。
 こうして、『両津護摩』行事の、この大般若経の記録から見えるものは
「亡き人を、追福する」という庶民の、切なる願いは、いつの世でも、変わることはないということであり、そして、お寺や集落の行事には、『講仲間』『講中』という、篤い信仰の絆で結ばれた人達によって、維持されてきたことが分かります。
 『講中』という組織、その言葉が立ち消えにならぬことを願い、この話の結びといたします。

アーカイブ