テレホン法話(平成27年5月)

長谷の遍照院 住職  中川  一世といいます。
当山先師憲盛法印は、僧名を智専と云い真野町に生まれる。
十七才の時、修行の為京都に上り勉学に励み学成り、
当寺の住職となる。今を去る事二百五十年前の明和三年。
佐渡では農作物の大凶作に見舞われ、重税に苦しむ
国仲五十三力村の農民は、年貢米の軽減を時の代官所へ願い出るも
聴きいれられず、此の時、智専は途方に暮れる農民の窮状を
見るに偲びず、この請願を一身に引受け、奉行所へ直訴の決心を
したのであるが、その頃早くも役人の知るところとなり、
一部同志と共に捕縛の身となる。
獄中三年拷問を受けながら、常にお釈迦様の救世捨身を信条として
一切の責は愚僧にありと、同志農民を庇いとうし、遂に
明和七年三月二十一日斬首の刑を受けたのであるが
刑場にあっても智専は泰然自若として、般若心経を朗誦したと
伝えられ、この大慈悲心によって悪政ことごとく改まり、
同志農民も延納も、共に許されたのである。
智専没後、憲盛法印と贈り名され、佐渡国仲五十三力村の
村ごとに石碑を打ち建て永くその仏徳を讃え、
今なお、信仰が絶えません。
平成三十年には、二百五十年御遠忌事業を計画しております。
大勢の方々にご賛同いただき、一口五千円のご喜捨をお顔いしたい
と思っております。 ご協力よろしくお顔い申し上げます。

アーカイブ