今月は沢根 長安寺住職 津山照光師による法話です。
「桃栗三年、柿八年・・・。」実を結ぶには確かに時を要します。でも時間の経過のみで十分と
いうわけではありません。
その昔、無著(むじゃく)という方が、鶏足山(けいそくせん)にある洞窟に籠もりました。弥勒
菩薩から直に教えを受けるためです。
修行を続けて三年。
弥勒は姿を現わしません。無著が失意に暮れて洞窟を出ると、一人の奇妙な老人に会います。老
人は太い鉄の棒を木綿で擦りながら、針を作ろうとしています。
老人は言います。
「心をしっかりと保ち、何事でもやり抜く決意であれば出来ない仕事など有り得ない。忍耐を失う
ことなく進めば、掌だけで山をも崩すことが出来る。」
無著は洞窟に戻り修行に取り組みます。
それから六年。
再度洞窟を出た無著が眼にしたのは、大きな岩が水の雫やその上で羽ばたく鳥の羽根によって、
少しずつ浸食され変形している様子でした。
洞窟に戻り、さらに修行すること十二年。
結果は得られません・・。悲嘆に暮れた無著は、ついに諦めて洞窟を離れようとします。そこで
彼は一匹の野良犬を見ます。その犬は下半身を蛆虫に喰われて、吠え声をあげています。哀れに思
った無著は犬を助けようとします。近くの村に赴いて金の刃物を手に入れた無著は、自分の肉を削
ぎ落とします。
自らの肉を与えることによって、犬から蛆虫を取り去ろうとしたのです。
蛆虫を殺さないように、手ではなく舌を使って自分の肉に移そうとしました。
と、その時、犬は忽然と姿を消し、そこには弥勒菩薩が神々しい光の中に立っていらっしゃいま
した。
無著は思わず口走ります。「私は長きに亘り、ありとあらゆる努力をして修行を続けてきました。
しかし、何の兆候も訪れなかった。あまりに慈悲が少ない・・。今までどうして姿を現わしてくれ
なかったのですか?」
弥勒は次のようにお答えになります。
「天がいかに雨を降らしても、種に問題があれば育ちはしない。仏陀がどれだけ現われていても未
熟であれば受けとめられない。私は最初からここに居る。しかし、汝はそれに気付かなかった。汝
の煩悩がそれを邪魔していたのだ。今、汝の大いなる悲れみの心で障りが清められ、私を見ること
が出来た。嘘だと思うなら私を肩に担ぎ、人々に見せてみなさい。」
その言葉通り、弥勒の姿を見ることの出来たものは、一人として無かったのです。
無著は弥勒菩薩の衣につかまって兜率天(とそつてん)に昇り、直に教えを授かります。
地上に戻った無著は、大乗の教えを伝えました。
弥勒菩薩が、お釈迦様の次の仏陀としてこの地上にお生まれになるのは、五十六億七千万年後。
ここまでお聞きくださり、ありがとうございました。
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参考文献
1. 小野田俊蔵 著
「はしごを降りてくる弥勒 -チベットの弥勒信仰-」
月刊『しにか』1995年10月号
大修館書店刊
(http://www.bukkyo-u.ac.jp/mmc01/onoda/works/essay_j3.html)
2. 田中公明 著
『大乗仏教の根本 〈般若学〉入門
チベットに伝わる『現観荘厳論』の教え』
大法輪閣刊 2014年 42項・43項
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