テレホン法話(平成27年9月)

手のしわとしわを合せて しあわせー
あるいは、私のようなやせている人は、
ふしとふしが合うからふしあわせだーと言うような
あまのじゃくもいらっしゃるでしょうか?

畑野の長谷にございます泉慶寺の住職 中川博之と申します。

この度は手を合せると言う事につきまして少しばかり
お話しさせていただきます。
仏教では右手を仏性の宿る仏様の手
左手を私達生とし生るもの(衆生)の手と考えられております。
私達真言宗豊山派の宗紋でありますところの輪違も同じ
ような意味合いがございまして、仏様と私達は一緒なんだよと言う「凡聖不二」の教えから来ています。
お仏壇やお墓などで線香を立て、自分の中の
むさぼりやいかり、愚さなどの三毒を焼きつくし、
おちついた気持ちで合掌していただいた時
私達は仏様と一体となれるのです。
一心に手を合せる、その姿ははた目から見ましても本当に
美しいもので、それこそ小さな即身成仏と言ってもよろしいでしょう。
この夏、テレビ等での慰霊祭や檀家さんにお伺いしての御法事で
たくさんの方々や小さなお子さんの手を合せる姿を拝見する
たびに私まで気持が安まるような感じがいたしました。
まことにありがたい事だと思います。
最後に、このお話しにちなんだ古歌を一つ

『右佛、左我とぞ合わす子の中にゆかしき南無の一声』

皆さん方おひとりおひとりの中に仏様はいらっしゃるのです。
お電話ありがとうございました。

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