テレホン法話(平成28年1月)

真言宗豊山派 慶徳寺住職の山本博章と申します。
今月は追善供養についてお話をさせていただきます。
追善とは追福修善と言う言葉を略したものです。善い事を行って浄き福徳を積んで、亡き人の冥福を祈ることです。
祖先、或は亡き父、母に対してはもちろんのこと、その家に縁の有るもの、又は縁の無いものの区別なく尊敬の念を捧げ弔うことです。お仏檀を飾り、お経を読んでもらい、仏さまの教えを聞き、亡き人々の仏果を進める最も貴い行事です。その場合、大変大事な事は、自分の祖先だけが良くなるようにと願うだけではなく、すべての縁の有るものも、その家に縁の無いものまでも、この功徳が行きわたり、良い果報が来ますようにと祈ることが大切なことです。
追善と同じ意味で追いかけて孝行するという字で追孝ということばがあります。生きている親に孝行すると同様に優しい心、尊敬の念をもって父、母の亡き霊、先祖様にお伝えするという意味です。
また、追善というと必ず供養という言葉が出ます。供養とはインドの言葉の「プージヤ」を訳したものです。追善の法事を営むときに御本尊の仏さまなり、亡きみ霊に色々なお供物を供えるのも供養であり、お経を唱えてもらうのも供養であります。また親戚、知人、僧侶に食事飲物を出し、勧めるのも供養です。
仏さまのために法事を営めば、その施主は慈悲と敬いの心をおこし、亡き人の霊もともに拝んでいただき、亡き霊は更に良い仏果へ進むことが力づけられ、その施主と家族は、皆浄く美しい心をつちかう事が出来ます。又招待されたお客様も、祖先崇拝と報恩感謝の念を強くし、特に追善によるさまざまなご馳走は、楽しくも有難いものです。生きている人々の喜びや、善い行いは、亡き先祖、或いは亡き父母に対してばかりではなく、周囲の人々にも功徳を積むことになる訳でございます。
ご清聴有難うございました。

真言宗豊山派宗務所 法話集-IX- ダイヤル説法 より

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