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平成29年11月1日発行の佐渡支所だより 第13号をアップロードしました。
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佐渡宗務支所役員任期が満了し、新たに役員が選出されました。
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 今月は来迎寺が当番月なので、お話したいと思います。
 人として生まれたからには、必ず通る道が死の世界(あの世)であ
り、人の運命・定めだと思います。では、人は死んだらどうなるのでし
ょうか。いきなり極楽・地獄へと行くのでしょうか?
 仏教の考えでは、亡くなった瞬間にはまだ行き先が決まっている
わけではありません。人は亡くなると、四十九日の旅にでるとされて
います。これがいわゆる「冥土の旅」です。この四十九日を「中陰(
ちゅういん)」や「中有(ちゅうう)」と呼びます。
 経典によると「四有(しう)」という言葉があります。四有とは、
「生有(しゅうう)・本有(ほんぬ)・死有(しう)・中有(ちゅう
う)」四つです。

 ●生有・・・・母の胎内で生を受けた瞬間
 ●本有・・・・生きている間
 ●死有・・・・死ぬ瞬間
 ●中有・・・・死んでから次の世界に生まれるまでの間

 中有とは、どこにいくのかまだ決まってない「陰(いん)」の状態
であることから、一般には中陰(ちゅういん)と呼ばれています。人
間はこの四有を繰り返しながら生まれ変わっているという考え方です。
 日本では昔から中陰の思想は定着していました。実際、日本人は亡
くなった時、葬式を済ませたら、それでおしまいではなく、一周忌・三
回忌、という様に法事やお盆・彼岸のお墓参りを行うと思います。
 では、仏教での行き先は六道という六つの道に分けられ、それぞれ
天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界とされています。
死後四十九日間の間に六道のどこかに行く先が決まるとされていま
す。いかに四十九日間が大切か見えてきます。誰しも身近な人が亡く
なったら来世での幸福を得てもらいたいと願うでしょう?
 特に日本人は人は亡くなったら人間に生まれ変わる考え方を持っ
た種族です。

 六道の六つを見た時、ふと気付いた人はいませんか?
地獄界から天上界まで階級になってますね~!さらに今の生活から
も、六道の世界観は見えてくると思います。
生活の一部には六道や仏教の世界観は溶け込んでいます。
 例えば、ご飯を食べる時「いただきます」という言葉がありま
す。これも言わなくなってきていませんか?どうでしようか?
 この「いただきます」の本当の意味は仏教からきており、こう伝
わっています。「あなたの体の一部をいただきます」という言葉が
元々ついていました。 あなたのおかげで私が生活でき、ありがとうご
ざいます。という意味です。
環境破壊・地球温暖化・天変地異(地震・台風)など、すぐそこ
に地獄の入り口が開こうとしている。と考えてもいいと思います。六
道は身近にあります。
 このような事から日頃から感謝や「ありがとう」という言葉を素直
に言える様心掛けて、亡くなった時に、人間界にまた戻りたいと思い
日常生活を送りたいと思います。   
                           合掌

真言宗豊山派佐渡宗務支所八十七番 照光寺住職 奥野俊英と申します。
 節分会「豆をまいて悪を払う」ということをお話しさせていただきます。
 節分とは季節の分かれ目ということで、立春、立夏、立秋、立冬の四つの節分があったが立春だけで行われるようになったのは、寒い冬を乗り切るための春を待ちわびることから元気づけに行われるようになり、現在は二月三日となっています。
 節分に「鬼は外福は内」とは外の鬼という意味だけではなく、私たちの心の中の鬼ということもできます。
 悪い心は鬼でして、良い心は福ということになります。悪い心を追い出して、良い心を育てていくことを誓うことの意味にもまるでしょう。
 豆を自分の歳の数だけ食べるというのは、豆な人間になる、どんなことも精を出して、こつこつ努力していく根性を目指すということにもなると思います。
 今家族の危機の時代と言われています。家族のきずなを強めるものとして、むかし多くの行事がありましてが、今はだんだん少なくなってきています。
 家族がみんなで力を合わせて行う行事を大切にしていくことを、今改めて考えなおしていくことが必要なことです。皆が健康で心豊かな家族全員の協力関係が必要です。
 家族を捨てればあとは地獄の道しか残っていません。この世で最も不幸な生き方ということになります。
 先ずそれを避けたいということが第一の願いであったのです。それだけに真摯に祈ったわけです。面白がって豆をまいたのではなくて、どうかお願いしますと必死になってお祈りをしたのです。
 現代でも災難を少なくし、そのようなことがなくなるような社会をかえていくということが目指されています。流行り病や自然災害を少なくしていくことができても、現代では新たな災難が数多く起こってきています。
 災難をなくし社会の治安をよくしていくことの基本は「心の鬼をなくし心を福にしていく」ことではないでしょうか。
 悪縁を断ち切り良縁を招いていくということでもあります。
 身近なことから、よき縁を作り出していくことを願うことが、節分の日の心構えではないかと思います。
 「心の鬼をなくし、福の心を育てよう」と豆をまきたいものです。

新年明けましておめでとう御座います。
両津の浦堂寺の山岸秀之です。

ご朱印についてお話しします。
 日本で昔からの主だった霊場に四国八十八ヶ所霊場や西国三十三観音霊場、坂東三十三観音霊場そして秩父三十四観音霊場などがあり、参拝しますと朱印帳にご朱印を受けることができます。
最近神社仏閣に参拝されご朱印を受ける方が大変多くなっております。これは納める経と書いて納経とも呼ばれ、その由来は参拝者が写経してお寺に納めることが始まりです。
ですから昔は納経帳の右肩のところに奉納大乗経典と書かれておりました。現在は奉拝という文字となっております。
 いつの頃かこの作法が簡略化されて、写経を納めなくとも参詣の証しとしてご朱印を頂くことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する巡礼信仰と結びついて盛んになりました。これは観音三十三霊場あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場からご朱印を頂くと、その功徳によって地獄に堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいているものです。
 このような本来の趣旨からから申しますと、写経はせず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩き、また特に佐渡霊場には無住の札所が多く、それを良いことに朱印料を納めず朱印を集めるという心無いことでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。
少なくとも般若心経など本堂内外で読誦され、その後にご朱印をお受けになることが望まれます。

                                  「金龍山 浅草寺」より引用

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